この物語は五帝の中の帝舜について描かれたものである。作品中は「俊」と書かれている少年が、 やがて帝位に就くまでだ。史記を読んだことはないが、この時代の資料は史記以外のものを集めても大変 少ないだろう。そういった稀少な資料から物語を書いてしまう宮城谷さんには脱帽だ。このたった60 ページの短編を書くのにも当然のように莫大な努力が裏にはあるだろう。他の作品で 宮城谷さんは次のような趣旨のことを述べている。「資料に囲まれて大変でしょうと言われるが、 資料が少なさ過ぎて大変だと言う方が的を得ている」と。ましてや、実在したか今もわからないような 時代のことを書いた今作に向けた努力とはいかなるものか。推して知るべしだろう。
内容は、俊とそのいじわるな家族(父、母(継母)、弟)を中心に展開していく。キョウ由(後に許由と呼ばれる) と呼ばれる、その時の帝であるに尭に仕える男に導かれ俊が成長していく過程が描かれている。 家族の罵りに憤りを感じるどころか、自分の不徳のせいだと考える俊の思考は伝説の中でこその聖徳と 言えるもので、読んでいて「逆に親をたしなめるのも、それはそれで徳になるのでは?」とか思ってしまう。 それほどひどい家族なのだが、古代中国において親こそが絶対であるから罵りには耐えるしかない。 しかし、このことで俊の徳は上がったのだ。つまり、俊の徳はひどい家族がいたからこそ聖徳の域にまで達したと言っても良いであろう。
ちなみに、この時の帝である帝尭も五帝の一人である。尭は臣下が力を持ちすぎたことを憂いていたが、 俊の出現によりふっきれたようでこれらの勢力を倒した上で崩御し、俊が帝となり帝位を継いだ。 聖王と呼ばれる彼等だが、俊の場合は前述の通り確実に家族の罵りが実は俊の徳を高め、さらに周りの 人々への宣伝塔にもなった。なぜなら、この親は家庭内だけでなく集落の中を息子への罵声とともに歩いたり したのだ。個人的には、「全部仕掛けたんじゃないか?」って思う。わざと自分の悪口を言わせ( または親がそういった計画を発案して)徳を高める。徳が高まれば人々が集まってくる。俊の徳に 集まったのだから、もちろん俊が君主である。汚く考えるとこうなるのだが、事実は闇の中。純粋に 聖徳の持ち主だったという定説も良いが、こうやって自分勝手に想像をするのもこれはこれでまた楽しいではないか!
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