この分野の本では吉川三国志と並んでかなり有名だと思われるこの作品。劉邦側の幕僚である張良、 ショウ何(ショウカ)、韓信などは劉邦より有名な可能性もある。それはどういうことかというと、簡単に言えば 劉備より関羽が有名みたいなもので、劉邦より配下の者達の方が能力的に秀でていたからだろう。では、 なぜ歴史上ではしばしばこういった天才とは言い難いような人物の下に英傑が集まるのだろうか?その理由が 今作を読むとわかるような気がする。物語的にもおもしろく飽きさせない構成がなされているし、登場人物の 一人一人にきっちりスポットを浴びせていて感情移入しやすい。これらのことが今作を傑作に押し上げた要因だろう。
話しを簡単に紹介しよう。秦王朝打倒をかかげて各地で起きた反乱の波に乗って一緒に戦っていた項羽と劉邦。 やがて、秦王朝の転覆を成功させる。すると、次に中国を治める人物が必要となり、項羽と劉邦という 二大勢力は血みどろの戦いを演じる。最終的には劉邦が勝利を収めて漢王朝を作る。というのが簡単なあらまし。 しかし、この時代背景は案外どうでもよく、項羽と劉邦という二大英雄がまったく正反対の性格だったとか、 戦えば負けた劉邦が最後は勝ち、いつも勝ってた項羽が最後は戦死したといった人間ドラマが読みどころだと言えるだろう。
項羽がめちゃくちゃカッコ良い!男たるものこうでありたい!と思う。北方三国志の呂布と同じくらい カッコ良い。だから、最後の項羽の死ぬところはかなりやばい。今作を読めばわかるがホントに感情移入してしまうため アンチ劉邦になるのはほぼ間違いない。しかし、死に際がこれまた最高にカッコ良いのだ。 自分が生きたのだ。何かに生かされていたのではない。自分は天にも勝ったのだ。というような、 ことを言うのだが・・・どう?最高でしょ?う〜む、これは絶対に読むべき本ですな。
前置きはこのへんにして本題へ。時代背景は、まず劉邦率いる漢が中国全土を統一した。やがて、劉邦 が死に、子の恵帝がその地位を継ぐがいかんせん幼すぎたため、その母親である呂太后が政治を操りだし、 専制を振るっている。といった具合の時代である。本編の主人公はイ房という女の人で、内容はイ房の 貧しい少女時代から、成長して皇后になるまでを綴ったものである。これから読む人もいるかも知れないので 詳しく書くことはやめておくが、貧しかった少女がやがて皇后になる過程を大変綺麗に書かれていて、 宮城谷さんの他の作品と比べてみても歴史小説より文学小説っぽい雰囲気がする。また、この小説では 呂太后は悪そのものになっているが、「実は今の人が思っているほど、ひどくもなかった。」ということを 他の作品で宮城谷さん自身がお書きになっている。それは次の段落で。
呂太后は激しい復讐心の持ち主であった。故に、その感情の糸に引っかかってしまうととんでも ないことをしたようだ。例えば、今作でも描かれているが、劉邦の愛を一人占めした戚姫の最後は異常である。 劉邦の正室は無論呂太后なのだが、妾の戚姫に夢中になったというのが劉邦らしく、またそもそも劉邦は昔から 呂太后には辟易していた感があるから、呂太后が無視されたのは致し方のないところだったかもしれない。 が、戚姫は完全に劉邦を虜にすると、僭越にも今度は自分の子供を嫡子にしてくれるよう頼みだす。これは結局 受け入れられなかったが、これらのことが呂太后にどういう気持ちを植え付けたかは明白である。 そして、劉邦が死んだ後だが、呂太后はまず戚姫を捕らえた。ここからは、今作に書かれていることを 基に書いてみるが、なんと両手足を切断し、目玉をくりぬき、耳を焼き、言葉が発せなくなる薬を飲ませた 上で、そのまま便所の糞尿が貯められる場所に置き、上から「人豚め!」と罵ったのだ。グロテスクという 言葉は奇怪というニュアンスが強いからちょっと違うが、なんにしても異常である。人間としての人格が 疑わしいだろう。だが、また一方で民からは好かれていたようである。罰することは罰するが、めりはり をつけて善く治めていたらしい。歴史は一面だけを照らしやすいが、その裏では違う顔をしていることは 多々あること。呂太后もその類だろう。中(官たち)に厳しく、外(民たち)には公平に政治をしたため、 歴史を記す側、すなわち中側の人間には不評だったということか。
この作品は極めて綺麗で文学小説のようだということは既に書いたが、その大きな要因に風景をよく 捉えて描かれているというのがある。小説は読むときは、その時代のその場所を自分なりに想像しながら 読むものだが、この作品の場合、大抵の人はなにか懐かしいような、哀愁漂う景色を想像するのではないだろうか? そして、そういった景色から広がるこの全体の雰囲気がとても「綺麗」と感じられてならない。 さらに、弟の広国の存在がまた大きく影響している。イ房とは幼くして別れてしまうが、イ房が皇后に なったあとの再会の場面や、奴隷時代に優しくしてくれたリンとの再会の場面は美しすぎて表現が 見つからない。言葉は悪いが、本は現実的には文字を読んでいるだけなのに、実際には壮大な映画を見た ような感動が胸に残る。この作品を読んで、また一段と宮城谷さんが好きになってしまった。綺麗な 話しなので、今作は特に女性にオススメしたい。
先述のように劉備を主人公として諸葛亮の死までを描いたものが三国志演義である。これは羅貫中と言う人物が 「三国志」という歴史書を元に万人受けするように書き換えた・・・もとい、生まれ変わらせたものである。 よって、フィクションも織り交ぜられている。一方、三国志というのは陳寿が書いたもので「魏書」「呉書」「蜀書」からなる 歴史書である。こちらはもちろんフィクションはない。と思う。 というのも、この陳寿というのが蜀の陳式の末裔であるという説もあるわけで蜀の出身なのだが、蜀をちょっとひいきめに書きたかった。という背景があるからだ。ただ、当時 蜀は晋に滅ぼされており晋を差し置いて蜀をひいきすることはできなかった(はずな)のである。こういったこともあり、正史(陳寿)は三国志時代の正統な王朝は魏(後の晋) とし、演義(羅貫中)は蜀とした(なにしろ、劉備が主人公ですから)。
とりあえず視点は演義に置こう。演義の内容についてはだいたいが周知のところであると思うので述べないが、日本で三国志演義と言えばおそらく横山三国志か吉川三国志であろう。 いずれも作者の苗字を最初につけての呼び名である。つまり、ここで書くのは北方三国志と一般的には言うのである。それぞれがそれぞれの色をつけて 書いているので好きならそれぞれ読んでみると良い。dagonは吉川〜と北方〜を読んだ。吉川〜のことはここでは述べないが、北方〜より歴史書っぽい雰囲気で書かれている。 北方三国志の特徴は何と言っても呂布の扱いである。最高にカッコ良い!一般的な呂布の扱いと言えば、鬼神のごとし武力と君主を裏切りまくる忠義心の無さ、ならびに知力の低い困った武将。的な感じであろう。 ところが、北方三国志は呂布の心情を事細かに書いてあり(かなり呂布主観かも?)、なぜ彼がそういった行動を取ったかを何一つ不思議に思わずに自然と受け止めて読めてしまう。 さらに、戦争時の彼の部隊の躍動感もぞくぞくするものがあり、たまらない。ホントに臨場感たっぷりなのである。
北方三国志は呂布が死んだ後は正直言って最高楽しいってところはなかった。なんでだろう?と考えてみると、やっぱり呂布が輝きすぎていてどうも他が見劣ってしまうのだ。 ただ、おもしろいのが蜀以外の人物のことの方がよっぽど印象に残る作品であるところである。個人的には大変満足だが、蜀が好きな人はダメかも。 蜀フリークじゃないけど、三国志は好きって人は読んでみたらどうでしょ?呂布のカッコ良さに酔いしれるよ!最後に一言、これを読んで戦術と戦略の違いを知るべし!
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